成田氏宗

(なりたうじむね)

生没年:?〜1622年/ 身分:下野烏山3万石7千石の大名の子/ 官位(通称、号):左馬之助

烏山城
氏宗が城主だった栃木県那須烏山市城山にある烏山城

 成田長忠の次男。大坂夏の陣に従軍し天王寺・岡山での最終決戦で首級を挙げた。1616年に父が亡くなると、兄の重長がすでに亡くなっていた上にその孫の房長が幼かったために下野烏山3万石7千石と家督を継ぐ。
 しかし重長が亡くなった際に妊娠している女性がおり、その子を擁立する一派とのお家騒動が起き、幕府に家政向不取締の理由で領土を削られ1万石の大名となってしまう。1622年11月7日死亡。

管理人・・・その後、成田家は氏宗の弟の泰直・房長の間に家督争いが起きて、結局は氏宗に子供がいないという理由で改易されてしまいます。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年3月31日
Copyright (C) 2004 Tikugonokami.