青木一重

(あおきかずしげ)

生没年:1551〜1628年/ 身分:摂津豊島他で1万石の大名/ 官位(通称、号):右京

麻田陣屋
一重が城主だった大阪府豊中市蛍池中町3丁目にある麻田陣屋

【歴戦の武将】青木重直の息子。青木家は美濃の豪族で、土岐・斎藤・織田家などに仕えてきた。一重は今川義元に仕えていたが、今川家が滅亡すると徳川家康の家臣となる。1570年の姉川の戦いでは朝倉家の勇将・真柄直隆を討ち取って勇名を馳せた。
 1572年からは丹羽長秀に仕え、その後豊臣秀吉に仕え黄母衣衆となる。1585年からは摂津・備中・伊予などで領地を与えられ1万石の領主となった。1587年には九州征伐に従軍する。

【徳川家へ】大坂の陣では七手組頭の一人として大坂城に篭り、追手口などを守る。夏の陣前に豊臣秀頼の使者として家康のもとにおもむいたが、徳川家にいた弟を殺すと脅され抑留されてしまう。夏の陣で豊臣家が滅びると剃髪したが、家康が復帰を望み摂津麻田に1万2千石を与えられた。1628年8月9日死亡。

管理人・・・結局は古巣に戻ったわけですね。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩藩主人名事典戦国大名諸家譜

UPDATE 2001年9月23日
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