永井尚政

(ながいなおまさ)

生没年:1587〜1668年/ 身分:常陸貝原塚1千石の領主/ 官位(通称、号):信濃守

永井尚政らの墓
茨城県古河市西町9-33の永井寺ある尚政らの墓

【老中】永井直勝の長男。駿河で生まれる。関ヶ原の戦いに従軍した。1602年に徳川秀忠の小姓となる。大坂の陣に従軍し使番として活躍しその功で御小姓番頭となった。その後、度々の加増があり、1619年に上総閏井戸(うるいど)1万5千石の大名となる。
 1622年に本多正純が失脚すると老中となった。1626年に父が亡くなると遺領の大半を相続し下総古河8万9千石に移封される。1632年に秀忠が亡くなると土井利勝北条氏重と共に増上寺に秀忠の廟の建立の監督をした。

【近畿へ】1633年に老職を解かれ山城淀10万石に移封される。この移封には京・大坂の治安の一翼を任されたという意味合いがあった。寛永の飢饉では京都所司代らと協力して窮民の救済と実態調査にあたる。島原の乱では京都の守護にあたった。その他、江戸城や禁裏などの普請をする。1668年9月11日死亡。京都府宇治市の興聖寺に葬られた。

UPDATE 2004年12月6日
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