森可政

(もりよしまさ)

生没年:1560〜1623年/ 身分:森家の家臣/ 官位(通称、号):対馬守

長久手古戦場碑
愛知県長久手町武蔵塚の古戦場公園にある長久手古戦場碑

【森家を出る】森可成の弟。森忠政の叔父にあたる。はじめ織田信長に仕えた。1583年の賤ケ岳の戦いで、織田信孝に出した人質の可政の娘・お鍋の見殺し論が森家で起こったため、可政は怒って森家を退出した。
 森家を出た後は豊臣秀吉に仕えて黄母衣衆となり、小牧長久手の戦い・小田原征伐・朝鮮出兵で功があり1860石を与えられた。

【重鎮】秀吉が亡くなると徳川家康に近づく。関ヶ原の戦いで東軍につき旗本に取り立てられ2360石を与えられた。1612年に宗家の忠政から7000石で招かれたため帰参している。その頃の森家は重臣達が刃傷事件を起こし混乱していたため、どうしても一族の重鎮であった可政の力が必要だったのだ。大坂の陣では津山城の留守をしている。1623年6月16日死亡。京都東山建仁寺の常光院に葬られた。

管理人・・・森家の一族なので勇猛な人だったようです。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大日本史料(第十二編15〜20)、ほか

UPDATE 2004年3月9日
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