三宅康信

(みやけやすのぶ)

生没年:1563〜1632年/ 身分:三河衣(挙母)1万石の大名の子/ 官位(通称、号):越後守

康信の墓
愛知県田原市田原町北番場の霊巖寺に建つ康信の墓

 三宅康貞の長男。遠江に生まれる。小田原征伐で初陣した。関ヶ原の戦いでは父と共に遠江横須賀城を守備する。大坂冬の陣では駿府城を守備、夏の陣では淀城を守備した。1615年に父が亡くなると、遺領の三河衣1万石を継ぎ越後守に任ぜられた。1619年に伊勢亀山1万石に移封される。
 1620年に徳川秀忠の娘・和子が後水尾天皇に嫁ぐ際に亀山城で饗応し、御所に入るのに付き従った。その功で2千石を加増される。1632年9月27日死亡。法名・源心宗広法栄院。豊田市梅坪町の霊厳寺に葬られたが、のちに田原市の霊厳寺に改葬される。

管理人・・・亀山は交通の要所だったため、秀忠や家光が上洛する際に饗応しています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2006年1月21日
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