近藤義武

(こんどうよしたけ)

生没年:?〜1617年/ 身分:松前家の家臣/ 官位(通称、号):吉左衛門

 松前家家臣。1610年、公家・女官の密通事件の罪で公家・花山院忠長が蝦夷に流された時、責任者となり、1614年に忠長が帰国するまで立派に役目を果たしている。1615年の大坂夏の陣では松前忠広の傅役として参戦した。1638年死亡。

管理人・・・義武は大坂の陣の合戦中に喉が渇いたので乗馬の腹を斬って血を飲んだそうです。
 花山院忠長が蝦夷に来るって決まった時、前例がなかったので松前藩中がてんやわんやになりましたが、それを見事にこなしているのでかなりの人物だったんでしょう。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年3月23日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.