仙石政吉

(せんごくまさよし)

生没年:生没年不詳/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):猪右衛門

月照院の墓
島根県松江市外中原町179の月照寺にある月照院の墓

 伊勢の生まれ。1602年に結城秀康の命で松平直政に付けられる。1606年に禄を与えられる。大坂の陣に従軍し首級2つを得た。陣では松平忠直への使者も務め、徳川家康秀忠とも謁見し、家康から陣羽織を賜る。
 1616年、直政が越前国内で1万石を与えられると250石を与えられた。その後、直政の移封にも従い、越前大野に移された際に加増され500石となる。出雲松江に移封の際には千石となった。

管理人・・・政吉が大坂の陣に出陣する際、直政の母の月照院から「武士たる者は戦場に赴く際には名香を所持するべし」と言われ、香合(香料を入れる容器)に伽羅を入れて渡されています。
 政吉は神谷富次らと同じ古株だったにも関わらず、家老になれなかったのは下記のような理由です。政吉の義兄・宗九朗の召使と伊達政宗の家来が口論の末、召使が殴られてしまいます。それを知った宗九朗は娘婿で尾張徳川家の家臣・藤田弥七郎等と一緒に伊達家の屋敷に押し入り、門番やその他の人物を斬って多数の死傷者を出します。政吉がこの騒動に直接参加したわけではないのですが、荷担した疑惑がかかったためでした。ただ松平家と伊達家の間で話が付いたため、政吉たちは罪には問われていません。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2011年5月8日
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