榊原重成

(さかきばらしげなり)

生没年:不詳/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):十郎左衛門・新兵衛

 榊原六右衛門の子。六右衛門は織田信雄の家臣で尾張半田に領地を持っていたが、のちに結城秀康に仕えた。
 重成も秀康に仕え、松平忠昌が生まれると忠昌付きとなる。大坂冬の陣では福井で留守をする予定だったが、伏見まで行き従軍を願い出て許され槍奉行を務めた。夏の陣にも槍奉行として従軍し、天王寺・岡山での最終決戦で越前松平勢が一番乗りを果たした時、大坂城の桜門まで押し寄せ
「槍奉行、榊原新兵衛!」
 と名乗りを上げている。そして二番乗りだった水野勝成の旗奉行・神谷久右衛門と話し合い、その場を譲って退いた。この時に首級3つを得て、忠昌から褒められ兼植作の槍を賜っている。

参考文献:福井市史 資料編 4

UPDATE 2011年6月13日
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