落合重長

(おちあいしげなが)

生没年:?〜1662年/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):美作守

安藤直次の墓
仲介をしてくれた安藤直次の墓(愛知県岡崎市大和町沓市場65の妙源寺)

 落合重清の息子。重清は織田信長・豊臣秀吉に仕えた後、結城秀康の家臣となり1万石を与えられた人物。重長は大坂冬の陣で松平忠直の先鋒として真田丸の攻防に参加し、夏の陣でも先鋒として天王寺・岡山での最終決戦で奮戦し、首級48を得た。
 陣後に戦功について本多富政と喧嘩になり、彼の讒言で1615年末に松平家を出て浪人となってしまう。しかし安藤直次の仲介で徳川頼宣に仕えた。その後、卜安と号する。1662年1月1日死亡。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2005年3月26日
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