御宿政友

(みしゅくまさとも)

生没年:1564?〜1615年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):越前守・勘兵衛

小橋山
天王寺・岡山での最終決戦で布陣した小橋山

 武田信玄の五男・葛山貞信の子、葛山友綱の子、御宿信友の子などの説がある。今川家・武田家・上杉家・北条家・福島家を歴任したというがこれも詳細は不明。最後は結城秀康の家臣となり1万石を与えられていたが、その息子・忠直と上手く行かず浪人となる。
 大坂の陣が起こると、越前一国を賜る約束で大坂に入城した。この時、自分の家を去って越前守を名乗ったことに怒った忠直から5千石の賞金を賭けられている。本町橋の夜襲戦樫井の戦いなどで活躍。天王寺・岡山での最終決戦では小橋村付近に布陣して奮戦したが、野元右近に討ち取られた。

管理人・・・結城秀康に仕えるまではよく分かりません。一般には今川家に仕えていたが、のちに武田家に仕え、滅亡後は北条家に仕え、そして最後に結城家に仕えたってことになってるみたいです。あと武田家に居たけど滅亡したので上杉家に逃れてそこで育ったという話もあります。
 ちなみに大坂城に入ってからは一貫して越前守を名乗っていたそうですが、御宿勘兵衛の名の方が有名ですよね。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役大日本史料(第十二編15〜20)

UPDATE 2002年9月1日
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