松平定綱

(まつだいらさだつな)

生没年:1592〜1651年/ 身分:下総山川1万5千石の大名/ 官位(通称、号):越中守

松平家歴代の墓
桑名市東方の照源寺にある松平家歴代の墓

【養子】松平定勝の三男。荒川次郎九郎の養子となり、1599年に義父が死亡すると家督を継ぐ話が出たが、徳川家康が「成長した後に領地を与える」との命令で継げなかった。1604年に下総山川に5千石を与えられる。1609年に1万石を加増され1万5千石の大名となった。1614年に大久保忠隣が改易されると小田原城に行った。

【移封】大坂冬の陣では家臣を率いて出陣する。夏の陣にも出陣し、大坂城内で主従合わせて首級42を得た。その功で1616年(1615年とも)に常陸下妻3万石に移封となる。1619年に遠江掛川城3万5千石に移封となった。1625年には山城淀に同じ石高で移封される。1633年、美濃大垣6万石に移封される。1635年に父と兄の領地だった伊勢桑名11万石に移封された。1651年死亡。

管理人・・・定綱は伊勢は名君で産業の育成・文武の振興に力を入れています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年10月27日
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