松平乗寿

(まつだいらのりなが)

生没年:1600〜1654年/ 身分:美濃岩村2万石の大名/ 官位(通称、号):和泉守

善導寺
松平乗寿が改装された群馬県館林市楠町にある善導寺

 美濃岩村2万石の大名、松平家乗の長男。乗寿の生まれた松平家は徳川家と途中で分かれた家で三河賀茂郡大給を領したので『大給松平家』と呼ばれた。
 1614年3月に父が亡くなったのでその跡を継いで美濃岩村2万石の大名となる。大坂夏の陣では河内枚方に出陣し、豊臣軍が出口村に堀を作って淀川の水をたたえて徳川軍の進行を妨害すると、これを埋めて進めるようにした。
 1638年に奏者番の役職を与えられると共に遠江浜松3万石に移封される。1644年に上野館林6万石に移封された。1651年に老中となる。1654年1月26日死亡。法名・源高院深誉道徹。最初、群馬県館林市の竜岩寺に葬られたが、のちに護念寺、善導寺に改葬された。

管理人・・・乗寿が老中となった頃は、幼い徳川家綱が将軍を継いでいましたが大奥に入り浸っており、家綱の成長に悪影響があるのと大奥の発言力が増大することを恐れて、3700人の大奥女中を解雇して建物も縮小するという思い切った政策を実行しています。

参考文献三百藩藩主人名事典江戸幕閣人物100話・上野人物志

UPDATE 2005年8月14日
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