松平重則

(まつだいらしげのり)

生没年:1580〜1641年/ 身分:徳川家の家臣/ 官位(通称、号):伝次郎

上田城
重則が攻めた長野県上田市にある上田城

 徳川家康の家臣・松平重勝の三男。1598年に徳川秀忠の家臣となり関ヶ原の戦いでは真田昌幸の篭る上田城を攻めている。のちに兄の重忠に属して3年間ほど伏見城の城番を勤めた。大坂の陣に出陣する。
 1617年に松平忠輝が改易されると使者を勤めた。1626年に姫路城の本多忠刻が亡くなると千姫を姫路から江戸まで護送している。その年に内膳正に叙任された。1633年4月に4千石を加増され1万500石を与えられ安房百首の領する。1640年に下野皆川に移封された。1641年12月27日死亡。法名・松厳院殿憲誉珠宝大居士。江戸の心法寺に葬られた。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年5月5日
Copyright (C) 2004 Tikugonokami.