神谷富次

(かみやとみつぐ)

生没年:1593〜1660年/ 身分:越前松平家の家臣(松平直政の家臣)/ 官位(通称、号):兵庫

神谷家の墓
島根県松江市石橋町44の順光寺にある神谷家の墓

 神谷権右衛門の息子。権右衛門は徳川家康の家臣(旗本)だったが、家康の命により結城秀康の家臣につけられた。母の安藤氏は織田信長の姪と言われ気が強く、盗人が侵入した際、手討ちにしたという話も残っている。彼女の子ということを見込まれて、1604年、秀康が富次を松平直政付きとして17石を与えた。1612年に直政の家老となる。大坂の両陣に従軍し、夏の陣では首級2つを得た。
 1616年、直政が越前国内で1万石を与えられると、富次も250石に加増される。1631年に直政に後の二代藩主・綱隆が生まれると、幼名をつけるように命じられ久松と名づける。直政が出雲松江に移封された際に御礼の使者として江戸で家光と謁見した。その後も順調に加増され、最終的に3770石の領主となる。1658年に高齢のために隠居を申し出る。しかし
「出雲のことは富次にかかっている」
 そう直政に諭され却下された。1660年7月24日死亡。松江市の順光寺に葬られる。

管理人・・・富次の母は熱心な一向宗徒で、大坂の陣の時に予算のない直政家のために西本願寺から2千両もの大金を調達しています。
 神谷家はその後、松江藩の重臣として栄えています。

参考文献三百藩家臣人名事典・続 山陰の武将・島根県歴史人物事典

UPDATE 2011年4月21日
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