長谷川正之

(はせがわまさゆき)

生没年:?〜1659年/ 身分:越後松平家の家臣/ 官位(通称、号):権左衛門

金剛證寺
忠輝が配流された三重県伊勢市の朝熊山にある金剛證寺

 松平忠輝の家臣で大坂の陣では小姓頭として活躍した。忠輝が改易され伊勢朝熊に配流された際に従ったが、浪人となって越後に戻る。二十代後半に信濃松代で酒井忠勝に仕えて400石を賜った。
 酒井家の出羽庄内移封にも従い、1633年に酒井忠重の圧政で領地に一揆が起こると鎮圧に活躍している。その後、功を重ねて2千石の領地と家老の地位を与えられた。1659年に死亡。鶴岡の総穏寺に葬られた。

管理人・・・正之は砲術の達人だったのですが、1630年に松浦金太夫という人物が砲術で酒井家を仕官しようとした時に試合を命じられて負けています。これは正之がわざと負けてやったそうです。浪人という身分の苦労が分かるからそうしたんでしょう。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2004年3月8日
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