原正祐

(はらただすけ)

生没年:?〜1625年/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):平左衛門

孝顕寺
正祐が葬られた福井市足羽1丁目7-16にある孝顕寺

 原家は千葉常胤の末裔で、千葉家・北条家に仕えた。正祐は北条家滅亡後、下総結城で結城秀康に召し出され母衣衆となり400石を与えられる。大坂夏の陣に従軍。1625年3月29日に死亡した。法名・慳岳全富居士。

管理人・・・正祐は武術の達人で名を知られていたそうです。大坂夏の陣で下記の逸話があります。
 『元和元年五月七日、大坂夏陣の時、黒衣の坊主肩を脱ぐの粧したる甲冑を着して出陣し、加賀の手先を押通るとき、彼是争論せしが正祐槍を馬上に横たえて乗出し、烈しき擧動ありしかば、その後忠直公黒衣の坊主の出陣したるを尋ねられければ、本多伊豆守正祐に気付ざりしにや、坊主は召仕申さずと答えける』

参考文献:越前人物志・福井市史 資料編 4

UPDATE 2011年1月21日
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