朝日重政

(あさひしげまさ)

生没年:1556〜1641年/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):丹波

松江藩家老朝日家長屋
島根県松江市殿町279の松江歴史館にある松江藩家老朝日家長屋

 遠江に生まれる。初名・袴田千助。徳川家康の家臣。1573年、武田家との戦いで駿河田中城にいた西郷伊予という勇将を朝日が昇る時間帯に短銃で討ち取る。それにちなんで家康から朝日の名字を賜った。
 1601年、結城秀康の家臣となり、通称を丹波に改め松平直政の守役となる。大坂冬の陣に従軍し、真田丸の攻防で奮戦。直政の移封にも従い、出雲松江に移封された際に7千石を与えられた。1641年死亡。

管理人・・・重政が直政の守役になった経緯について下記のような話があります。
 結城秀康が江戸にいた頃に火事がありました。この時、重政の息子が秀康の小姓として勤めていましたが、物を取ってくるように言われたものの重くて持っていけませんでした。そのため、秀康が
「父に劣る子だ」
 と叱責。息子は気に病み自殺してしまいました。秀康は重政に詫び
「この子を自分の子と思って育ててくれ」
 と言って直政を預けています(『鶴の毛衣』)。
 朝日家は代々松江藩の家老を務めており、後裔の茂保は松平治郷(不昧)と共に火の車だった松江藩の財政を立て直しています。

参考文献:三百藩家臣人名事典・島根県歴史人物事典

UPDATE 2011年6月9日
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