前田知好

(まえだともよし)

生没年:1590〜1628年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):修理

京都
知好が移り住んだ京都

【三男】前田利家の三男。前田利常の兄。7歳の時に越中の石動山で出家し、長じて越前の経王寺に行くが、1604年に還俗して前田利長の家臣となった。1610年2月に七尾城代・播磨利好(利家の兄の子)の跡を継いで1万3千石の領主となる。大坂両陣には参加したが殿(しんがり)を命じられ戦闘には直接参加していない。

【不満】1616年、利常が利長の遺言を守らずに自分を優遇してくれないのを不満に思い京都へ去り、1622年に出家し有庵と号した。これを知った利常が前田利孝を使者として遣わせ説得をしたため、これを了解し帰国を決意する。だが帰路の途中の近江で病気にかかってしまったため京都へ引き返したが、1628年6月23日に亡くなってしまう。

管理人・・・利長の遺言というのは知好に領土を分け与え大名にしてやれというもので、これを利常が守らないのを不満に思い京都へ去ったというのが一般的な説です。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年5月22日
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