生田四郎兵衛

(いくたしろべえ)

生没年:1565〜1645年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):四郎兵衛

加藤清正像
四郎兵衛が槍を合わせた名古屋市中村区中村町字木下屋敷22の妙行寺にある加藤清正像

 名前は不明。最初、佐久間盛政に仕え、賤ケ岳の戦いでは加藤清正と槍を合わせている。主家が滅亡すると前田利長の家臣となり、小田原征伐・関ヶ原の戦いなどで活躍した。その功績で千石を賜わり、越中で代官・奉行に任ぜられている。
 大坂夏の陣では越中新川郡の留守をした。1620年に前田利常の次男・利次付で江戸に登城し、徳川秀忠に謁見している。1639年に利次が富山藩を分藩されるとその家臣となった。1645年、81歳で死亡。

管理人・・・奉行をずっと務め、戦でも活躍している。典型的なオールマイティー武将ですね。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年3月27日
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