長連竜

(ちょうつらたつ)

生没年:1548〜1619年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):如庵

長連竜の墓
石川県七尾市田鶴浜町ニ253甲の東嶺寺にある連竜の墓

【長氏の生き残り】能登守護・畠山家の重臣、長続連の三男。幼少より仏門に入り、臨済宗の住職となった。1577年に上杉謙信が能登を攻めてきた際、兄・綱連の依頼で織田信長への救援の使者として赴き、織田軍を能登へ誘導したが、時すでに遅く、上杉軍に内通した遊佐続光らにより父も兄も殺された後だった。
 それから連竜は一族の仇を討つため信長を頼り、能登から上杉軍の勢力が一掃された1581年6月、隠れていた遊佐一族を探し出し討ち取っている。

【前田家に仕える】その年の8月に前田利家が能登一国を得ると、その家臣となった。その後、賤ケ岳の戦い・小田原征伐・朝鮮出兵などで活躍し、1600年の関ヶ原の戦いでは浅井畷の戦いで家臣を9人も失うほどの奮戦をしている。1606年に隠居し如庵と号した。大坂の陣では高齢ながら従軍している。1619年2月3日死亡。

管理人・・・連竜は最終的には3万2千石を得て、並みの大名以上の領土を領していました。戦場での経験が豊富な人で、41回も赴いています。また、とても男気のある人で、遊佐続光の息子を家臣にしています。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月25日
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