伴長之

(ばんながゆき)

生没年:1589〜1655年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):八矢

岡山口周辺
現在の岡山口周辺

 父は織田信長の家臣・伴無理兵衛。長之は1599年より前田利長に仕えた。大坂両陣に出陣し、特に夏の陣の天王寺・岡山での最終決戦で戦功がある。その際、安見元勝の危機を救い、その近くに構えていた篠原一孝に証人を求めたがこれを拒否され一孝と生涯に渡って絶交している。その後、順調に出世し最後には5千石の領主となり、1655年4月に死亡した。菩提寺は加賀・広誓寺。

管理人・・・長之には面白い逸話が残っています。ある日、江戸で奥村河内守栄明の家に行くため乗り物に乗り、家臣に行き先を命じてそのまま眠ってしまいました。そして家に入って対面すると、なんと出てきたのは常陸笠間の藩主・井上河内守政利でした。驚いた長之はすぐに謝罪し出て行こうとしましたが、政利はこれを引き止めてもてなし、それ以降親しくなったということです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年5月8日
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