福留親政

(ふくとめちかまさ)

生没年:不詳/ 身分:井伊家の家臣/ 官位(通称、号):半右衛門

長久手合戦首塚
愛知県長久手町大字岩作字元門41にある長久手合戦首塚

 長宗我部氏の重臣・福富儀重の息子。長宗我部盛親が改易されると伊予に行き加藤嘉明に仕えたが、理由があってそこを去り、大坂の陣では井伊家に属して戦功があった。その後、1624年に尾張に行き徳川義直に仕え200石を与えられた。

管理人・・・親政はのちに『福留覚書』というものを残し、そこで大坂の陣を含む様々なことを書いています。また次男の親茂は刀・槍・薙刀・居合・組打・棒術のすべてを極めた達人だったそうです。その親茂は古戦場を巡視した際に、長久手の古戦場に立ち寄り戦死者の首塚を見て荒廃していたので、塚の上に目印として石碑を建てています。

参考文献大日本史料(第十二編15〜20)・名古屋市史 人物編・安昌寺史

UPDATE 2004年5月13日
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