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【跡継ぎ】細川忠興の次男。母は明智光秀の娘・玉。3歳の時に玉が洗礼を受けさせている。1599年に叔父・興元の養子となった。
嫡子となってもおかしくなかった興秋はこれに不満を抱き、江戸に行く途中に京都建仁寺の塔頭十如寺を訪れると、そこに入り1605年1月に出家してしまう。これは忠興を怒らせたが、興秋の気持ちを考え、淀の商人である築山兵庫に世話をさせている。 【勘当】1614年に大坂の陣が起こると興秋は大坂に入城し、忠興から勘当されてしまう。夏の陣の道明寺の戦い・天王寺・岡山での最終決戦で活躍したが、大坂城が落城したため逃亡し、家老松井家の菩提寺・東林寺に逃げ込む。しかし通報されて捕えられ、1615年6月6日、忠興の命令により東林寺で自害した。享年33歳。稲荷山南谷に葬られた。 管理人・・・大坂に入ったのは豊臣家から細川家への恩を返すためだという説もあるようですが、それはないでしょう。ただ単に廃嫡されたのを恨んでだと思います。 参考文献:戦国人名事典 コンパクト版・三百藩家臣人名事典、ほか UPDATE 2002年9月14日Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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