本多忠義

(ほんだただよし)

生没年:1602〜1676年/ 身分:伊勢桑名10万石の大名の子/ 官位(通称、号):右兵衛?

掛川城
忠義が城主だった静岡県掛川市にある掛川城

 本多忠政の三男。伊勢桑名に生まれる。大坂の陣では若いので最初は従軍を許されなかったが、お願いしてなんとか従軍させてもらい首を上げた。1626年に父の忠政が亡くなると播磨のうち4万石を分け与えられる。1639年に遠江掛川7万石に移封され、1644年に越後本庄10万石の大名となった。
 1649年には陸奥白河12万石の大名となり、1662年に隠居して鈍斎と号する。1676年9月死亡。法名・大信院本誓忠義大居士。最初、福島県白河市の久松寺に葬られたが、のちに奈良県添上郡の玉竜寺に改葬された。

管理人・・・白河での忠義は評判が悪く、領地の石高を大目に見積もり、税率を上げて、新しい税を作り、民が非常に苦しんだそうです。ちなみに忠義の妻は森忠政の娘です。

参考文献三百藩藩主人名事典日本の戦史 大坂の役

UPDATE 2004年7月16日
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