本多俊次

(ほんだとしつぐ)

生没年:1595〜1668年/ 身分:三河西尾2万石の大名の子/ 官位(通称、号):下総守

伊勢亀山城
俊次が城主だった三重県亀山市本丸町にある伊勢亀山城

 本多康俊の長男。下総小篠に生まれる。1599年、徳川家康と謁見した。1610年に下総守に任ぜられる。大坂の陣に従軍し自ら槍を合わせ首を獲た。1617年、康俊が近江膳所3万石に移封されると俊次も従う。
 1621年2月、康俊が亡くなると遺領を継いだが、7月には三河西尾3万5千石に移封された。1636年に伊勢亀山5万石に移封される。1651年、7万石に加増され近江膳所に戻った。1668年8月11日死亡。滋賀県滋賀県大津市丸の内町1−20の縁心寺に葬られた。

管理人・・・伊勢に移った俊次は検地を行い、民の意見を取り入れ、新田開発を奨励するなど亀山の発展に寄与しています。また亀山城に関しても西出丸を築いて、破却された天守跡に多聞櫓を築いています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2011年9月25日
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