森村重

(もりむらしげ)

生没年:1566〜1637年/ 身分:蜂須賀家の家臣/ 官位(通称、号):五兵衛

森村重の墓
徳島県阿南市椿泊町東の真如院道明寺にある村重の墓

 森(仙石)村吉の長男。森家は土佐泊を拠点とした水軍の将として名を馳せ、四国征伐後は蜂須賀家政の家臣となり水軍を任された。村重は最初、父・村吉の兄である村春の養子となって本家を継ぐ予定だったが、1578年に村春に息子の忠村が出来たため、500石を与えられて分家に戻っている。
 成人した村重は九州征伐・小田原征伐に従軍する。朝鮮出兵では毛利輝元・立花宗茂を助け、家政から賞されている。
 大坂冬の陣に従軍し、博労淵の戦いで活躍があり、徳川家康秀忠親子から感状を受けた。その功で加増され3000石の領主となり、森家の本家を継ぐように命じられる(本家は、忠村が陣前に亡くなって絶えていた)。1637年7月29日死亡。

管理人・・・村重の子孫は椿泊を本拠として代々蜂須賀家の水軍を仕切ったそうです。

参考文献:阿波人物誌・戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典

UPDATE 2006年3月8日
Copyright (C) 2006 Tikugonokami.