福島正勝

(ふくしままさかつ)

生没年:1599〜1620年/ 身分:安芸広島50万石の大名の子/ 官位(通称、号):備後守

清洲城
正勝が生まれた愛知県清須市にある清洲城

 福島正則の息子。母は津山長義の娘。尾張清洲に生まれる。最初、正勝と名乗っていたが、のちに徳川秀忠から一字を与えられて忠勝と名乗った。大坂冬の陣では摂津鳥飼辺で堤を築く。大坂夏の陣では大坂落城に間に合わなかった。
 1619年に広島城無断修築を咎められて領地を召し上げられ信濃川中島4万5千石に減封させられる。1620年9月14日死亡。法名・性光院殿前忠勝太子華香清徹大禅定門神儀。長野県須坂市小河原の大乗寺に葬られた。京都市右京区花園の妙心寺海福院にも墓がある。

管理人・・・若くして無くなったせいか性格というか個性がまったく分からないです。ちなみに正勝の孫(名前は同じ正勝です)が五代将軍の徳川綱吉に召し上げられて2千石を与えられて旗本になっています。
 あと官位が備後守になっていますが、官位を授けられたのは1616年で当時は幼名の市松だったようです。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2005年9月29日
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