石田与純

(いしだよしずみ)

生没年:1589〜1636年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):将監

石田与純の墓
宮城県仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿内にある与純の墓(左の一番手前)

 石田家は伊達為家の末裔で伊達郡石田村に住んだので石田を姓としたという。14歳の時に伊達政宗に仕え、後に近習となる。1602年に岩沼に移り住んだ。大坂の陣で首級を得る。政宗が亡くなると彼の遺体が棺に納められる前に江戸に行き6月21日、若林の私邸で殉死した。辞世の句は『曇りなき月のあととふ山のはの道も涼しき松風の音』。

管理人・・・殉死したことで名が知られています。与純の他に19人が殉死したそうです。与純の子孫は明治時代に伊達家から廟所瑞鳳殿の監守を任されています。

参考文献:伊達政宗のすべて・戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典・仙台人名大事典

UPDATE 2003年6月12日
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