本郷国包

(ほんごうくにかね)

生没年:1592〜1664年/ 身分:刀匠/ 官位(通称、号):源蔵

本郷国包の墓
仙台市若林区新寺2丁目7−33の善導寺にある国包の墓

 伊達家の刀匠。初めは釘打鍛冶をしていたが、その技術の高さが伊達政宗の耳に入り、伊達家の刀工稽古人となって京都の越中守正俊のところに修行に出された。大坂の陣では主君に従軍して鍛冶御用を勤めて槍の先20穂を打つ。1619年に帰国して仙台の若林に住んで刀を打った。
 1645年に引退して息子に家督を譲り立町に引っ越す。その頃に雲居と知り合い、その門下となり用恵仁沢の法号を与えられた。その後は技術にますます磨きがかかり隠居前より名声が高まる。1664年12月3日死亡。仙台市若林区新寺2丁目7−33にある善導寺に葬られる。法名・慧眼了真信男。

管理人・・・戦場で槍先を打たないといけない理由がよく分かりません。修理専門で行くなら分かりますけど。あとお坊さんになっても人を殺す刀を打っても問題ないんでしょうか。芸術品としての刀専門だったのでしょうか。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年9月13日
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