難波可傑の息子。事情があって苗字を舟山と改めた。大坂の陣の時に仙台城の留守を任された鈴木重信の副将に命じられたが従軍を願い出る。しかしそれを断られた。 その留守中、自宅で火事を起こし黒印公證も燃やしてしまったため、伊達政宗の怒りに触れ禄を没収された。それを恥じた可俊は自害して詫びた。享年31歳。
管理人・・・家族は離散しましたが、次男の可賢が『鈴木』に改姓し伊達忠宗の家臣に復帰したそうです。
参考文献:仙台人名大事典