大関政増

(おおぜきまさます)

生没年:1591〜1616年/ 身分:下野黒羽2万石の大名/ 官位(通称、号):土佐守

黒羽城
栃木県大田原市前田にある大関氏の居城・黒羽城

 大関晴増の嫡男。大関家は那須七騎の一つ。関ヶ原の戦いでは徳川家に証人として江戸に赴く。1605年、下野黒羽2万石の大名となっていた叔父の資増から譲り受けて家督を継いで下野黒羽2万石の大名となった。1614年に里見家が改易されると館山城を守備。
 大坂冬の陣では本多正信に属して河内国平野を守備した。大坂夏の陣では落人の首97を獲った。1616年5月30日死亡。法名・霊照院殿顧岑道鑑大居士。栃木県大田原市黒羽田町450の大雄寺に葬られた。

管理人・・・別の資料では大坂夏の陣で獲った首が79となっていました。多分、どちらかが数字を写し間違えたんでしょうね。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩藩主人名事典戦国大名諸家譜

UPDATE 2004年4月15日
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