太田資宗

(おおたすけむね)

生没年:1600〜1680年/ 身分:千石の領主/ 官位(通称、号):摂津守

御劔八幡宮
愛知県西尾市錦城町の西尾市歴史公園にある御劔八幡宮

 太田重正の次男。太田道灌の子孫にあたる。妻は板倉重宗の娘。1606年、伏見城で徳川家康と謁見した。1610年に重正が亡くなると遺領を継ぎ上総市原郡内500石の領主となり家康に仕える。のちに家康の側室である英勝院(お梶)の養子となった。1612年、徳川秀忠に付けられ300石を加増される。大坂冬の陣に従軍し黄金などを賜った。1615年正月に摂津守に任ぜられ200石を加増される。大坂夏の陣に従軍。
 その後、下総佐倉での狩り、上洛、日光山行きにも従い、1623年に相模高座郡内で1100石を加増される。その後も何度も加増され、1万5千石の大名となった。1637年に島原の乱が起こると使者と戦後処理を松平信綱らとな行い、その功で三河西尾3万5千石に移封される。1644年に遠江浜松3万5千石移封された。その後も幕府のために尽くし1680年1月22日死亡。法名・道顕日応瑞華院。静岡県三島市の妙法華寺に葬られた。

管理人・・・西尾に移った資宗は城と城下町の整備を行い、城内の御劔八幡宮を再建しています。でも西尾城の案内板では土井利長が1678年に御劔八幡宮を再建したとなっていたんですが・・・。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版寛政重修諸家譜

UPDATE 2011年10月18日
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