京極高知

(きょうごくたかとも)

生没年:1572〜1622年/ 身分:丹後宮津12万3千石の大名/ 官位(通称、号):丹後守

飯田城本丸跡
高知が城主だった長野県飯田市追手町にある飯田城本丸跡

 京極高吉の次男。母は浅井祐政の娘。京極高次の弟。豊臣秀吉に仕え、1591年に近江蒲生郡内で5千石を与えられる。1593年に後妻の父・毛利秀頼の遺領である信濃飯田6万石に移封された(美濃落合と中津川の領地を合わせて12万石を領したとの説もある)。1599年に4万石を加増され10万石となる。
 関ヶ原の戦いでは東軍に付き、福島正則や池田輝政らと共に岐阜城を攻め一番乗りを果たした。本戦にも参加し、それらの功で丹後宮津12万3千石に移封される(正確には最初は田辺城に入り、のちに宮津城を再築している)。
 大坂冬の陣に従軍し、今福に陣を構えた。夏の陣にも従う。1622年8月12日死亡。法名・瑞安院真厳道司。京都市北区紫野の大徳院芳春院、京都府舞鶴市の見樹寺に葬られた。

管理人・・・飯田に移った高知は飯田城の普請をし城下町の整備に力を入れ、現在の飯田市の基礎を作っています。奥さんは津田信澄の娘で、織田信重の義理の兄弟にあたります。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版戦国大名諸家譜

UPDATE 2005年7月17日
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