稲葉正成

(いなばまさなり)

生没年:1571〜1628年/ 身分:美濃十七条1万石の大名/ 官位(通称、号):内匠頭

十七条城
岐阜県瑞穂市にある十七条城の碑

【一徹者の養子】美濃高須城主・林正三の次男。稲葉一鉄の長男・稲葉重通の娘をもらい養子となって稲葉姓を名乗る。豊臣秀吉に仕え朝鮮出兵の際に小早川秀秋に属し家老となって5万石を領した。関ヶ原の戦いの時には石田三成につこうとする秀秋を諌め、徳川家康に加担するように説得している。

【復帰】1601年12月、政治について何度も秀秋に苦言を呈したが受け入れられなかったため、一族を引き連れて美濃に閉居した。1607年に今までの功績が幕府に認められ、美濃羽栗郡内などで合わせて1万石を与えられ十七条に住むことを許される。大坂の陣では両陣とも河内枚方を守備し、夏の陣では落人の首級27を挙げた。

稲葉氏一族と春日局の墓
神奈川県小田原市入生田303の招太寺にある稲葉氏一族と春日局の墓

【再び閉居】1618年に松平忠昌に付けられ越後糸魚川で1万石を加増され2万石の大名となる。1623年の忠昌の越前移封に従わず閉居したが、1627年に再び召しだされて下野真岡2万石を与えられた。1628年9月17日死亡。法名・現竜院殿輝宗道範大居士。東京都台東区上野の東叡山現竜院に葬られた。

管理人・・・彼が稲葉重通の養子になったいきさつは次のとおりです。林家と稲葉家は領土が隣同士であったため、いつも争いごとが絶えませんでした。そこで稲葉家の家老・岡部右兵衛が動いて両家を和解させてその証として正成が養子に入ったそうです。あと正成の前妻は有名な春日局さんです。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版戦国大名諸家譜

UPDATE 2005年2月6日
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