吉田政重

(よしだまさしげ)

生没年:不詳/ 身分:長宗我部隊の部隊長/ 官位(通称、号):又左衛門

津城
政重が関ヶ原の戦いで攻めた津(安濃津)城

 吉田俊政の息子。土佐及び四国統一戦で活躍した吉田重俊の曾孫。六尺二寸の大男だったという。土佐国安芸郡和食の生まれで、豪腕の持ち主であった。1582年での阿波中富川の戦いで初陣を飾る。朝鮮出兵では晋州で敵将・朴好仁を捕まえ、虎退治をしている。
 関ヶ原の戦いでは伊勢の安濃津城の攻撃に参加した。長宗我部家の改易後は浪人したが、大坂の陣が起こると盛親の元に馳せ参じ一員として戦った。大坂が落城すると土佐に帰り安芸郡安田で医者をした。大坂の陣に至るまで115の首を取り21ヶ所に傷を受けたという。

管理人・・・あまり(というかまったく)名を知られていないですが勇猛な武将です。この人も中央にいたらもうちょっと有名になったはずなのに、、、。長宗我部家は主従共々知名度が低くて哀しいです。

参考文献長宗我部元親のすべて戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2001年8月31日
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