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【逃亡生活】康豊は京都の山科の辺りまで落ち延び、農家に入って着物を盗んでそれを着てさらに東に向かった。宇都宮にいる縁者を頼るつもりだったのである。東海道は警戒が厳しいので、裏道を通って食べ物を奪いながら進んでいたが、信濃の多賀明神に着いた頃はすっかり食べ物も無くなり、二日も食べ物を口にしていなかった。そこで絶望し死のうと思ったが、敵が満ちていた大坂城を脱出してここまで来たのは運がまだ尽きていないと思い直し、そこで一夜を過ごした。
集まっていた村人達は彼に興味を持ち、「それなら当てて見せてくれ」と言ってきた。そこで康豊が、「この家の主はやがて一郷の長となる相が出ている。頭の上に白い煙が立って見えるぞ」と言うと、村人達はそっと亭主を見た。そこで康豊はみんなが見た村人を指して「そこの縞の羽織を着た方が主人だ」と見事当てて見せた。村人達は感心して、次々と占いを依頼した。康豊は適当な返事をしてそれらをあしらった後、村人達が出してくれた食事にありついた。それで何とか康豊は飢え死にせずにすみ更に宿まで提供してもらえた。
【一攫千金の好機】康豊は村人達の信頼を得て、適当な占いをしながら更に3日ほど過ごした。3日目に「四十両と検地帳の入った箱を無くしてしまいました。どうか占いで見つけ出してください」と頼んできた者があった。
【犯人はこの中にいる!】そして依頼人の家に行って、壇を飾って取って来た松葉を撒き散らして、餅を白い布の上に並べて、祈った後、家の者すべてを車座(人々が輪になって一人の人間を囲むこと)にさせ「四十両と検地帳を盗んだ者はこの中にいる。だが我が行法の定めで命だけは助ける。盗んだ者は白状しろ。しなければ山神水神の罰を受けるであろう。疑う者があるなら秘法を見せよう。壇上にある餅を下に下ろすとそれが盗んだ者の方へ動き出すぞ」と言うと、供えた餅を布と一緒に下に下ろした。
お金が手に入った康豊は村を去り、駿府の長光寺に落ち着き、母方の名字を使用して足立七左衛門と名乗った。ある日、駿府城主・酒井忠利が長光寺の周辺で鷹狩をしている時に、狂人が寺の客間に切り込んできた。この現場に居合わせた康豊は机を投げつけて取り押さえ手柄を得た。そこで忠利が康豊に由緒を聞いて、元親の息子ということを知り、家臣に取り立て200石を与えた。その後、酒井家が武蔵河越に移封になった時に500石となり、最終的に1500石の領主となった。亡くなった時期は不明である。
とっても機転の利く人ですね(詐欺といえばそれまでですが、、、)。みんなを集めて犯人を当てるなんて探偵小説みたい。推理はしていませんが。ちなみに康豊の子は5千石を賜る重臣となり宿老城代となっています。その息子さんは足立家の運を開いてくれたお礼として多賀明神に50石を寄付しています。以上、元親の息子で唯一普通の最後を終えた(と思われる)長宗我部康豊さんでした。 UPDATE 2002年8月27日 Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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