明神信勝

(みょうじんのぶかつ)

生没年:1593〜1671年/ 身分:長宗我部家の家臣/ 官位(通称、号):忠右衛門

明神信勝の墓
高知県安芸郡東洋町白浜にある明神信勝の墓

 長宗我部家の家臣・明神源八郎の子。祖父の六郎左衛門は尾張出身で長宗我部元親に仕え朝鮮出兵で戦死した人物。
 信勝は関ヶ原の戦いで主家が改易されたため浪人の子となる。大坂の陣が起こると主君の長宗我部盛親の篭る大坂城に入り、夏の陣の八尾の戦いでは藤堂家の幌衆の一人・山田三郎右衛門を討ち取った。大坂落城後は諸国を放浪して数年、土佐に戻る。1632年に山内忠義の家臣となり、土佐白浜を与えられた。そしてそこを開拓し村を作る。1671年3月26日死亡。

管理人・・・信勝は、民家もない白浜(高知県安芸郡東洋町白浜)に松を植えて砂や潮風を防いで耕作が行えるようにし、塩田を造り、開村しました。その功を称えて1669年に信勝の家人達が明神神社(五社神社)を建てています。

参考文献大日本史料(第十二編15〜20)高知人名事典

UPDATE 2004年5月17日
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