上山十兵衛

(かみやまじゅうべえ)

生没年:不詳/ 身分:長宗我部家の家臣/ 官位(通称、号):十兵衛

藤堂高虎の銅像
十兵衛が追いつめた津市丸之内商店街に建つ藤堂高虎の銅像

 名前は不明。長宗我部家の家臣。大坂夏の陣の八尾の戦い藤堂高虎を追い詰めるが、逃げられてしまう。大坂落城後は身分を隠して山内忠義に仕える。しかしある時、高虎が山内家の江戸邸に来た時に十兵衛を見て気づき、忠義にそのことを話したため問いただされた。そこで自分の身分を明かすと、忠義は喜び200石を与えて馬廻りにした。

管理人・・・十兵衛のことは『韓川筆話』に載っており、そこには『忠義に尋ねられた十兵衛は「確かに藤堂候の仰せられた通りです。豊臣軍の不運は盛親様が藤堂候に負けたためです。盛親様が負けたのは私が藤堂候に槍を入れた時に、向こうの馬は奥州産(日本馬の中ではもっとも優れた種類の一つ)、こちらの馬が土佐産(土佐駒と言われる小さな種類の馬)で性能が抜群に違ったために逃げられて討ちもらし、ついには我が軍が敗れてしまいました」と語った。彼は土佐に戻っても「合戦で大事なのはとにかく馬だ」と若い武士達に話していた』という話が載っています。
 馬の性能差がなかったら藤堂高虎は八尾で戦死をしていたかもしれません。それだけ長宗我部隊は藤堂軍を押していたんですね。

参考文献大日本史料(第十二編15〜20)

UPDATE 2004年5月10日
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