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戦後は東軍に味方した息子の生駒一正に仕えていたが、1614年に大坂冬の陣が起こると大坂城に入った。冬の陣では二の丸の東を守備、夏の陣では天王寺・岡山での最終決戦で天王寺口に陣をしいた。
そのため4人は散り散りになってしまったので、井頼は落ち延び京都に潜伏後、常高院を頼って若狭小浜の京極家に行き保護される。京極家が出雲松江に移封されると500石を与えられた。この頃に出家して作庵と号したという。その後、京極家の播磨竜野、讃岐丸亀移封にも従い、1661年5月16日死亡。京極家の菩提寺である香川県丸亀市南条町の玄要寺に葬られた。
管理人・・・謎の多い人物です。浅井長政の息子は全員殺されたはずなのに、なぜに生き残っているんでしょうか? どうやって助かったんでしょうか? 賤ケ岳の戦いに参加するまでなにしてたんでしょうか? 参考文献:戦国人名事典 コンパクト版・戦国女系譜・大日本史料(第十二編15〜20)・日本の戦史 大坂の役ほか UPDATE 2005年3月1日Copyright (C) 2001-2005 Tikugogawa. |
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