戸田勝直

(とだかつなお)

生没年:不詳/ 身分:浅野家の家臣/ 官位(通称、号):六左衛門

熊野川
勝直が一揆勢と戦った熊野川

【出戻り】父は織田信長の家臣。勝直は1583年に浅野長政の家臣となり100石を与えられた。これは長政と親族だったためと言われている。浅野家が紀伊に移封されると浅野忠吉付きとなり新宮城代となったが、これに不満を抱いて当家を去った。しかし1606年に帰参する。

【熊野一揆の功労者】1614年12月12日、熊野地方で蜂起した一揆勢3000が新宮城に迫った。浅野軍が大坂へ出陣した間隙をぬった蜂起だった。留守をしていた城代の勝直の手勢は60人前後。熊野川の対岸にまで迫った一揆勢だが舟がすべて浅野軍に摘発されていたため渡れない。勝直は近隣の農民まで集めて対抗し、夜に川を渡って一揆勢を強襲。敵を敗走させ北山郷に追い込んだという大功を上げた(紀州一揆)。
 浅野家が安芸広島に移封されると忠吉が備後三原城を預けられたため、そこの城代となる。のちに隠居して道可と名乗った。83歳で亡くなったといわれているが、没年は不明である。

参考文献:和歌山県史・北山村史、ほか

UPDATE 2003年3月11日
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