神前勝久

(こうざきかつひさ)

生没年:1578〜1652年/ 身分:土豪/ 官位(通称、号):中務

豊臣秀次の像
近江八幡山城山麓にある元主君・豊臣秀次の像

 神前家は紀伊神前郷の土豪。父・好勝は豊臣秀次の代官。勝久は浅野家が紀伊に移封されると代官となった。大坂冬の陣で手兵85人を率い出陣したが途中で引き返してきた浅野軍と出会い、そこで「紀伊に戻って紀州一揆に参加した土豪達を鎮圧しそれらから人質を取るように」という命令を受け実行する。
 1619年に徳川頼宣が紀伊に移封されると徳川家から浅野家の政治について聞かれている。徳川家支配後も引き続き代官を務めた。1652年10月17日死亡。

参考文献:和歌山県史

UPDATE 2003年2月18日
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