1578年、長宗我部元親は阿讃山脈を越え西讃岐に侵攻。藤目城・財田城を落とし讃岐での橋頭堡を築く。この勢いに香川信景は三好氏への反感も手伝って元親に降伏し次男・親和を婿養子とした。 西讃岐を支配下に納めた元親は中讃岐に向かい、1580年までに西長尾城と衷ー城を落としている。