第4章:土佐の統一(1569〜1575年)

 安芸郡の中西部を押さえた長宗我部元親は西の高岡郡・幡多郡へも侵攻。1569年、仁淀川を越えて蓮池城を奪い津野勝興を降伏させる。久礼城主・佐竹義直、仁井田と窪川の豪族・仁井田五人衆も降伏させ高岡郡を手中に収め、一条兼定を次第に追い詰めていった。
 1574年、動揺した家臣団の一部が元親に臣従するため兼定を追放し息子・内政を擁立。元親が内政の後見人となる(京一条氏の指示という説あり)。
 1575年、兼定は旧領奪回のため伊予から幡多郡を攻めるが、渡川の戦いで元親に敗北し退却。幡多郡は元親の支配下となった。同年、元親は安芸郡東部も制圧し土佐統一を実現させる。

元親の土佐統一戦の侵攻図
土佐統一戦
UPDATE 2012年3月29日
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