第36章:長宗我部地検帳

 長宗我部元親の土佐で行なった大きな功績に検地があげられるだろう。
 元親は土佐統一戦、四国平定戦の最中も四国の各地で検地を行なっていたが、地域が限定されており差出もあって不十分であった。そこでいわゆる太閤検地の一環として1587年から土佐国内の総検地が行なわれ、1590年に終了している(一部は1597〜1598年に行なわれている)。
 豊臣秀吉の力を背景とした検地は、元親の力だけでは竿入れ出来なかった地域にも入ることが可能となっている。しかしそれでも元親の直轄地は少なく、結果として算出された総石高24万石の内10%程であった。
 この時の記録は一般に長宗我部地検帳と呼ばれ368冊にも及び、のちに土佐を支配した山内家も使用している。

UPDATE 2012年11月4日
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