第34章:滅亡(1614〜1615年)

 1614年、豊臣秀頼と徳川家康の衝突が避けられるなると長宗我部盛親は御家再興のため京都を抜け出して大坂城に入る。真田幸村らと共に浪人衆の中では重要な人物として扱われ、冬の陣では城南を守備して徳川軍を撃退し、夏の陣では八尾の戦いで藤堂高虎に大打撃を与える活躍を見せた。しかし結局、豊臣軍は敗北。盛親は大坂城を脱出したが捕らえられ、1615年5月15日に斬首され、長宗我部氏は滅亡する。

大坂城と八尾の位置
大坂城と八尾の位置
UPDATE 2012年8月1日
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