第21章:四国征伐開始(1585年)

 1585年6月16日、遂に豊臣秀吉による四国征伐が開始された。長宗我部元親は本陣を白地城に構え、東伊予は高尾城に金子元宅を、讃岐は天霧城の香川親和と修築した植田城で防備しようとした。阿波は激戦地となることが予想されたため、牛岐城に香宗我部親泰、阿波一宮城に谷忠澄、岩倉城に比江山親興と各城に一族と重臣を配置して待ち構えた。長宗我部軍は3万前後の兵だったという。
 それに対して豊臣軍は、伊予方面から毛利輝元軍が、讃岐方面は宇喜多秀家が、阿波方面から今回の総大将である豊臣秀長が攻め込んで来た。総勢10万前後だったと伝わる。

長宗我部軍の城の配置図
城の配置図
UPDATE 2012年7月4日
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