第18章:小牧・長久手の戦い(1584年)

 1584年3月、織田家に取って代わろうとする豊臣秀吉に対して危機を感じた織田信長の次男・信雄は徳川家康と協力して対抗し小牧・長久手の戦いが始まる。信雄と家康は長宗我部元親にも協力を求め、元親はこれに応じた。元親は紀伊の雑賀衆と大坂を挟撃するため渡海しようと讃岐の制圧を急いだが、三好氏の抵抗は激しく同年6月に十河城は落としたものの依然として虎丸城の十河存保は抵抗を続けていた。それでも元親は秀吉を牽制し同盟軍としての役割を果たしている。
 結局、秀吉と信雄の間で和議が成立し、元親が出兵することなく戦いは終わっている。
 この頃、元親と中国地方の大名との関係も変わっていた。毛利輝元と秀吉が歩み寄り領土問題の交渉中で、宇喜多秀家は秀吉に臣従していた。そのような中で元親だけが反秀吉を貫いていたため、次第に両者と疎遠になっていく。

1584年頃の大名相関図
大名相関図
UPDATE 2012年6月30日
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