第14章:本能寺の変(1581〜1582年)

 1581年、三好康長は織田信長の後押しを受けて阿波に上陸。十河存保と共に阿波で反撃に出て阿波一宮城・夷山城を落とす。岩倉城はすでに味方に引き入れていた。その上、豊臣秀吉も淡路に援軍を送ったため、長宗我部元親は苦境に立たされる。
 そこで明智光秀が信長に降伏するよう元親の親族・石谷頼辰を使者として送るが元親は拒否。信長は元親を討つため、三男・信孝を大将に四国征伐軍を編成し1582年6月2日に渡海させようとしていた。しかし当日に本能寺の変で信長が光秀に討たれ四国征伐軍は崩壊。元親は危機を免れる。

三好氏の反撃図
三好氏の反撃図
UPDATE 2012年6月18日
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