第12章:元親の外交(〜1579年頃

 ここで簡単に1579年頃の長宗我部元親を巡る状勢を見ていこう。まずは京都を押さえていた織田信長との関係だ。元親は夫人の縁戚である斎藤利三の主君・明智光秀を介して、信長と誼を通じる。1575年には元親の嫡子が信長から『信』の字を賜って信親と名乗っている。信長の家臣・豊臣秀吉とも関係は良好で秀吉が元親に戦況を報告するなどやり取りを行なっていた。
 一方、中国地方の雄・毛利氏とは険悪な関係だった。元親と争っていた伊予の河野通直が毛利輝元と姻戚関係だったため、前項の通り直接戦いにまで及んでいる。毛利氏の隣国である備前の大名・宇喜多直家とは讃岐攻略に支障を来さぬよう誼を通じている。
 このように1579年頃までは親信長派として四国平定戦を順調に進めていた。

大名相関図
1579年頃の近畿・中国・四国の大名相関図
UPDATE 2012年6月16日
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