第11章:伊予戦線(1576〜1579年)

 しかし伊予は阿波や讃岐のように長宗我部元親の思うようにはいかなかった。1576年、南伊予に攻め込んだ長宗我部軍は当初、河後森城・三滝城などを手に入れ順調に進んでいる。しかし1579年に伊予の軍代・久武親信が岡本城攻めで親信自身が戦死するという大敗を喫してしまう。
 同年、地蔵嶽城主・大野直之が元親に通じるが、小早川骭i・河野通直の連合軍に攻められたため波川清宗を救援に送るも和睦して撤退している。
 このように南伊予の状勢ははかばかしくなかったが、東伊予は大西頼包の尽力によって1578年に金子元宅らを味方に引き入れている。

元親の伊予侵攻図
伊予侵攻図
UPDATE 2012年6月15日
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